峠空山 標高619.2m

峠空山(永原地区(下大久保バス停付近)より撮影)
永原地区(下大久保バス停付近)から見た峠空山



峠空山は、廿日市市峠地区の北側にある山だ。峠地区を挟んで南側には
大野権現山がある。 玖島分かれ〜永原地区あたりから山を望むときれいな二等辺三角形に見えるので、いつか登ってみたいと思っていた。2005年の3月〜4月に かけて3回ほど登った。なお25,000分の1地図に山名の記載はない。
事前の情報が見つからなかったので、取付の位置もわからない状態での登山スタートとなった。現地入りして知ったが、2004年に山の南西方面で 「地籍調査」が行われたようで、山の南西エリアの大半の山道は、きれいに整備されており、どこから登っても、登れるというのが正しい。
このページでは、山の西側から山頂へ至るルートを紹介する。取付は、山の西側(玖島川に近い所)の2ヶ所(A-1)(A-2)となる。 少し登ると合流し、尾根を進む。地籍図根三角点(A-3)を過ぎた辺りの北側に25,000分の1地図に「屈岩」(かがみいわ)という岩があるはず。 地図に載っているくらいの岩だから、すぐに見つかると思い、地図の青い点線のルートで付近を捜索したが、どうにも見つからない。 確かに、この付近の尾根は大きな岩肌が露出しているのだが(A-4)、これくらいの岩ならどこの山にでもあるというレベルだ。 この付近はかなり崩落が進んでいるのでひょっとしたら、かなり昔に屈岩は崩落して谷間に消えたのかもしれない(A-5)。 どなたかご存知なら教えていただきたい。
気を取り直して登っていく。二等辺三角形の頂点に近くなるほど急登になる。ちょうど麓から山を見て三角形の頂点と思われる場所に「南無阿弥陀仏」と彫られた大きな 岩(A-6)がある。裏には製作年と作者名が記されている(A-7)。製作された頃には、麓の永原地区から良く見えたのだろうが、現在は、周辺の 植林が成長しており、麓からは見えない。
ここからは、比較的緩やかな勾配となって、尾根道を東へ進む。ただし尾根道は岩だらけだ(A-8)。それでもがんばって進むと展望岩(A-9)へ到達する。 南側のみだが、船倉山大野権現山勝成山などが見通せる(A-10)。この展望岩そのものが「地籍図根三角点」となっている。岩には容易に登れる が、三角点を支持している針金に足がひっかかり転落しそうで恐い。ここが「山頂」なのだろうか。「峠空山」と書いた古いプレート(A-11)があった。 ただし記されている標高は、この先の三角点の標高である。
ここまでは、大変歩きやすい山道だったが、この先の三角点方面への進路は少し荒れてくる。 展望岩から東へ進み2つ目のピークに3等三角点(A-12)がある。なお、この三角点のすぐ南側に、グランドハイツという団地から伸びる道があって、 こちらから下山してみたい気にもなるが、三角点とこの道は連絡され ていない(ヤブこぎすれば不可能ではないが・・・)。グランドハイツからの道は、茶臼岩山 と同様に治山工事用の道路(A-13)であり、現在は倒木などでかなり荒れている。
何箇所かの登山口で、「入山禁止」と書いてある看板(A-14)が設置してあった。登らせてもらっているという気持ちとともに、 持ち帰るものは「写真だけ」としていだたきたい。
路線バス(広電バス佐伯線)を利用して楽しむことができる。津田方面行き「峠神社」で下車。 時刻表(PDF)

(A-1)1つ目の取付 (A-2)2つ目の取付
(A-3)尾根筋の地籍図根三角点。地籍調査の関係で何箇所もある。 (A-4)屈岩があろうと予想される付近の巨岩。
(A-5)谷に向かって崩落した岩。
この岩の上部はかなり大きく崩落していた。
ひょっとして この岩が「屈岩」だったのだろうか?
(A-6)「南無阿弥陀仏」と彫られた岩
(A-7)(A-6)の裏側。製作年と作者名が記されている。 (A-8)尾根道は岩だらけ
(A-9)展望岩。岩そのものに地籍図根三角点がある。 (A-10)展望岩から船倉山(烏帽子岩)〜大野権現山(おむすび岩)方面を望む。
(A-11)展望岩のそばにあるプレート。 (A-12)3等三角点(三角点名は「空山」)
(A-13)グランドハイツからの治山工事道路 (A-14)「入山禁止」の看板



峠空山登山地図
「この地図は、国土地理院長の承認を得て、 同院発行の2万5千分の1地形図(廿日市及び津田)を複製したものである。 (承認番号 平17総複、第97号)」

なお、このページ内で使用している登山ルートの名前・登山口や分岐点の名前などは、便宜上、作者が勝手に命名したものもあります。地図に記載した登山ルートは GPS等により測定したものではありません。

作成:2005年6月5日



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