板敷山 標高1071.0m

青笹山(中国電力西島根幹線27号鉄塔付近)より板敷山を望む。 林道多々場線の枝作業道より、大焼山〜1,035m峰へ連なる尾根を望む。
青笹山(中国電力西島根幹線28号鉄塔付近)より板敷山を望む。
中央の峰が板敷山山頂、右端は標高約1,070mの北側ピーク。
林道多々場線の枝作業道より、大焼山〜1,035m峰へ連なる尾根を望む。
右端のピークが大焼山山頂。



板敷山は、青笹山の南西に位置し、県道所山潮原線とアオササ谷の林道(林道青笹線)に挟まれた南北に長い形の山で、旧佐伯町では、羅漢山に次ぐ高峰である。羅漢山の山頂は、岩国市に属しているので、山頂ベースで旧佐伯町の最高峰といえる。県道所山潮原線の焼山峠から旧佐伯町側に約600m寄った位置より分岐している日本製紙(株)の私有林道を利用して登れば比較的短時間に山頂へ到達できる。
なお、25,000分の1地図に山名の掲載はない。それゆえに、この山の山名を、「青笹山」とするインターネット上の記載や書籍がある。

インターネット上では、 広島県の主要山岳リスト (出展は、広島山岳会や広島県山岳連盟となっている。)及び 広島県高校登山専門部30周年記念誌の内、佐伯高校の記載部分 で、この山を青笹山としている。

書籍では、「佐伯町誌本編(佐伯町誌編纂委員会編1986年)」70ページの西北部山地に関する記載に次のように記している。

「飯山の北部は、海抜750mの飯山峠(作者注1)をもって吉和村と境し、この峠の西方県境一帯は冠高原スキー場、吉和村伴蔵ヶ原として有名であるが、峠より東は900m級の山々が続いて吉和村との境をなし、飯山貯水池のすぐ北側を北東走して940mの高山(作者注2)を起こし南に屈曲してしばらく行き、また北東に向かい、991mの焼山(作者注3)に到る。ここで所山より来る焼山林道(作者注4)の捷路を越えさせる焼山峠に降り、更に崛起して1,000mの板敷山(作者注5)に連なり、更に東方に1,071mの青笹山(作者注6)を屹立せしめ、1,000m級の山頂(作者注7)を連ねて920mの堀割峠(作者注8)に到る。その後南転して948mの独立峰(作者注9)を作って大虫に下り、その山麓をもって湯来町との境とする。」

この文書は、旧佐伯町西北部の旧吉和村及び旧湯来町との境界沿いの山々を説明したもの。
(作者注1)・・・国道186号線の旧佐伯町と旧吉和村の境界の峠(標高約780m)を指すと思われる。「吉和村誌第一集」(後述)及び「西中国山地」(桑原良敏著)では、ここを金子峠(金子の峠)(かねこのとうげ)と記している。
(作者注2)・・・飯山貯水池北東側の3等三角点「向井谷」(標高944.9m)のあるピークを指すと思われる。
(作者注3)・・・焼山峠の南西側の4等三角点「中ノ河」(標高990.6m)のあるピークを指すと思われる。「吉和村誌第一集」ではここを中川山と記している。
(作者注4)・・・現在の広島県道471号所山潮原線。出版10年後の1996年に県道に昇格している。
(作者注5)・・・焼山峠の北東側の1,017m峰のことを指すと思われる。「吉和村誌第一集」(後述)では、ここを「大焼山」と記している。
(作者注6)・・・「西中国山地」(桑原良敏著)の記述における「板敷山」の3等三角点「板敷峰」(標高1,071.0m)を指すと思われる。
(作者注7)・・・1,035m峰や「西中国山地」(桑原良敏著)の記述における「青笹山」の4等三角点「青笹山」(標高1,021.6m)を指すと思われる。
(作者注8)・・・「西中国山地」(桑原良敏著)の記述における「西牛首」(標高約890m)を指すと思われる。
(作者注9)・・・「氷水山(北峰)」の3等三角点「氷水山」(標高948.4m)を指すと思われる。

また同書71ページの「青笹山塊」の写真は、「西中国山地」(桑原良敏著)の記述における「板敷山」を南側上空より空撮したものであり、 同書47ページの山林部字位置図に記載された青笹山の位置は、「西中国山地」(桑原良敏著)の記述における「板敷山」の位置に記されている。

「吉和村誌第一集(吉和村誌編纂委員会編1986年)」では、412〜414ページ及び589〜590ページにかけて、この地区の境界を巡って虫所山地区と吉和地区で争った歴史を紹介するとともに、この付近の地名の変遷も紹介している。この付近の山について、同書付属の「吉和村地図」では、「西中国山地」(桑原良敏著)を原図の加筆版であるから、当然のことながら、「西中国山地」で示す板敷山と青笹山は同位置で、焼山峠の南西側の4等三角点「中ノ河」のピークは、「西中国山地」では無名峰であるが、「吉和村地図」では「中川山」としている。同書内では、「堂ヶ原中川(河)山」や「中之川山」とも書かれている。「吉和村地図」では1,017m峰を無名峰としているが、同書138ページの図表3には「大焼山」と記されている。
焼山峠を中心とする吉和地区と虫所山地区との境界論争は1,705年から1,870年まで続いたと記されており(589ページの記述では、1,559〜1,907年まで)、山口県境から青笹山まで、太田川と小瀬川水系の分水嶺をもって、旧佐伯町と旧吉和村の境界となっているのも、このような境界論争の結果ということらしい。実際、25000分の1地図を見れば、4等三角点「中ノ河」ピークの南西側の山麓より飯山貯水池付近までの分水嶺をなす稜線がはっきりしていないことがわかる。江戸時代において、近代的地図も無しに、この分水嶺を両村村民が理解することの難しさを感じずにはいられない。

このレポートでは、この山を「板敷山」、1,017m峰を「大焼山」、焼山峠の南西側の4等三角点「中ノ河」を「中河山」とした。「西中国山地」(桑原良敏著)には、「地名調査をもっと早い時期に行うべきであった」と記されており作者も同感である。インターネット上に複数のレポートが掲載されている。特に「山歩きと山野草のページ」は、直近のレポートであり、参考にさせていただいた。


県道所山潮原線から登るルート

県道所山潮原線を焼山峠から旧佐伯町側へ約600m進んだところに、日本製紙(株)私有林道への分岐がある(A-1)(A-2)。県道が大きくカーブする地点である。この林道は、最近整備されて大変歩きやすくなっている。林道への分岐点には、「立入禁止」の看板があり、車止めのチェーンが施してある。純粋に登山させていただくという意味で通行させてもらったが、この付近で間伐などの作業が行われているようなので、作業時には立ち入らない方がいいだろう。
この林道は谷を直進し標高約890mで方向を南側に変えて標高約920mの地点まで続いている。途中(林道が南側に向きを変えて約300mの地点)の大きなカーブが山頂に直接繋がる尾根となるので、ここから、山頂へ向かって登る(A-3)。かなりの急登だ。林道からの取付は、崖状になっているが、傾斜は比較的緩いので、足元に注意すれば尾根に上がることができる。この尾根の踏み跡はほとんど消失しているが、直線的なので迷うようなところはないし、植林地内で下草も薄いので歩きやすい。ただし、山頂に近づく程に大変な急斜面となる。3等三角点がある山頂は植林地内であり、眺望は全くない(A-4)。「西中国山地」(桑原良敏著)には、北面を除いて展望に優れていると記述されているが、執筆当時の植林は年月の経過と共に成長したということだろう。このルートは「点の記」に書かれたルートと思われる。
上述の尾根へと林道から分岐せずに、林道を直進するとまもなく林道終点に至る(A-5)。ここから登る場合は遠回りになるが、その分斜度が緩いので楽に登れる。終点先の植林地内のトラバース道(A-6)をしばらく進むと支尾根(A-7)に到達するので、この支尾根を主尾根まで登る。支尾根の西側の雑木林にはブナが散見される。主尾根の踏み跡は大変薄いが荒れてはいない(A-8)。小さなコブを超えた先のコブが山頂となる。主尾根の登山路には「赤テープ」が施されている。
上述の私有林道分岐からさらに約300m旧佐伯町寄りの作業道からも登ることができる(A-9)。 この作業道も最近ブルドーザで整備されている。作業道の両側の山は間伐作業が行われ、間伐材が作業道分岐地付近に集積されている。作業道の終点から南側の尾根に取り付く(A-10)。この尾根の踏み跡は大変薄いが歩けないほど荒れてはいない。少し頑張ると上述の私有林道へ飛び出す。

(A-1)日本製紙(株)私有林道への分岐。2006年9月撮影。かなり荒れている。 (A-2)(A-1)と同所。2009年9月撮影。林道は整備されている。
(A-3)この崖より、山頂西側の尾根を直登する。 (A-4)山頂の3等三角点。点名は、「板敷峰」。
(A-5)日本製紙(株)私有林道終点。 (A-6)林道終点先のトラバース道。植林地内。
(A-7)支尾根へ到達。 (A-8)主尾根の登山道。山頂手前付近。
(A-9)(A-1)から約300mほど旧佐伯町側に寄った作業道の取付。 (A-10)作業道終点。

アオササ谷〜三段ナメラ〜板敷山と青笹山の間のコル

林道所山青笹線を所山側からカシゴヤ峠を越えて約250m進んだ所、向かって左手に、アオササ谷へと向かう林道青笹線の分岐がある(B-1)。ここを分岐して樽川にかかるコンクリート橋手前までは砂利道だが、その先はアスファルト舗装の立派な林道が続いている(B-2)。アオササ谷に入ると山に向かって右手の「源七タキ」の直下を通過する(B-3)。 「源七タキ」は、ほぼ垂直に切り立った露岩壁であるが、林道から上を見ても、立木が視界を遮り全容が掴み難い。それよりも、この付近の落石の多さに驚く(B-4)。突然の落石が怖い。アオササ谷の両岸は、板敷山と青笹山の間のコルに至るまでほどんどが植林地で変化に乏しい。中国電力東山口幹線の直下にある送電鉄塔保守路への分岐(C-4)を過ぎて、約400m進むと舗装道が終わる。その先のコンクリート橋で青笹川を渡る。林道は砂利道になるが、林道の整備状況はいいので、ここから約500m先までは車でも進入可能と思われる(B-5)
ここで、林道終点と錯覚するが、谷川をわたり、左岸(山に向かって右手)に林道が続いている。この林道もやがて終点(B-6)となり、その先の微かな踏み跡を進む。谷川は岩盤が露出するようになって、長いナメラ滝状態になる。恐らくこのナメラ滝中央部の小さな三段滝が、「西中国山地」(桑原良敏著)に記されている「三段ナメラ」と思われる(B-7)。同書にあるように、この付近を境に、左岸の踏み跡もなくなるので、歩きやすそうな所を適当に歩きながら谷を詰める。やがて、谷が3つに分岐する場所に至り、山に向かって右側の谷を進むと、板敷山と青笹山の間のコルへ到達する(B-8)。 このコルを、林道太田川林業地基幹線が通過している(2009年11月現在工事中)。このコルから、板敷山や青笹山に登ることができる。アオササ谷分岐からコルまで約120分。カシゴヤ峠までのルートは、青笹山のレポートを参照。

(B-1)林道所山青笹線より林道青笹線が分岐、アオササ谷へと進む。
東牛首側から撮影。
(B-2)樽川を渡るコンクリート橋。その先より舗装道となる。
(B-3)林道から源七タキを見上げる。この位置から全貌は掴み難い。 (B-4)落ち葉の林道。源七タキからの落石がやたらと多い。
(B-5)標高約760m地点。車はここまで進入可能か? (B-6)標高約790m地点。林道終点。
(B-7)三段ナメラ。 (B-8)板敷山と青笹山の間のコル。林道太田川林業地基幹線が工事中。
旧佐伯町側から旧吉和村側を望む。

縦走路

県道所山潮原線〜柳ヶ谷三角点

板敷山の南側を中国電力東山口幹線の送電線が東西に通過している。焼山橋から北へ約600m進んだ所に県道所山潮原線側から鉄塔保守路への分岐がある(C-1)。分岐後すぐに壊れたゲートをくぐりハタ谷を詰める。谷道は、谷川の侵食により川底の岩盤が露出している箇所を何度が渡りながら進む。滑りやすいので注意。その先で、ハタ谷から分かれ急登し(C-2)、146号鉄塔へ至る。ややトラバースした保守路を登ると145号鉄塔へ到達し、そのわずか北側に4等三角点(点名:柳ヶ谷)がある(C-3)。県道の取付からここまで約40分。
林道青笹線から鉄塔保守路を登り(C-4)、144号鉄塔を経由し145号鉄塔まで登ることもできるが、2ヶ所のスイッチバックと144号鉄塔から一旦高度を落とすなど保守路のコース取りが面白くない。こちらから登らない方がいいだろう。

柳ヶ谷三角点〜板敷山山頂

柳ヶ谷三角点から主尾根を北側に向かって板敷山山頂へ縦走する。あまり歩かれた様子はない。板敷山山頂までの縦走路に迷うようなところはないが、丁寧に赤テープが目印として巻かれている。この赤テープは、青笹山まで続いている。やや笹の多い箇所もあるが歩き難いというほどではない(C-5)。縦走路の西側(県道所山潮原線側)の大半は雑木林で、東側(アオササ谷側)は植林地となっている。雑木林の木々が標高を稼ぐに連れて変化するのが面白い。柳ヶ谷三角点付近は、ミズナラやアカマツが主体の森だが、次第にシロモジが目立つようになり、標高930m越えるあたりからブナが主体の森となる(C-6)。胴回り2m程度の大木も多数ある。前述の主尾根合流点から先は、山道の両側が概ね植林地となる。この間約90分。

板敷山山頂〜板敷山と青笹山の間のコル

板敷山山頂から北方向へ尾根を進む。少し進むとやや北東に向かい少し標高と落とす。次のコブ(標高約1,070m)の登り坂付近から笹薮となるが、このコブ付近の笹は腰程度の高さで充分我慢できる。このコブで進行方向を北西方向に変えて進むと、植林地が終わり目の前に吉和冠山が見えてくる(C-7)。この付近の笹は背丈を越える場所もある。ここは、旧吉和村との境界線で、板敷山方面から見て、左手(西方向)が大焼山・焼山峠方面で、右手(北方向)が青笹山方面である。両方向に赤テープがあるので、テープに頼らずにコンパスなどで確認するといいだろう。この位置から青笹山山頂まで、旧佐伯町側は植林地で、旧吉和村側は雑木林なので、植林境を辿れば1,035m峰や板敷山と青笹山の間のコルへ降りる支尾根を見つけやすくなる。青笹山とのコル手前の雑木林はブナ主体の森となっており大変美しい(C-8)。胴回り2mクラスのブナが多数散見される。目印となる赤テープは、コルを過ぎて青笹山の主尾根まで続いている。この間約90分。

(C-1)県道所山潮原線からの鉄塔保守路取付。 (C-2)ハタ谷から保守路が分かれる。木の階段状になっている。急登。
(C-3)145号鉄塔の北側の4等三角点(点名:柳ヶ谷) (C-4)林道青笹線からの鉄塔保守路取付。
(C-5)縦走路。889m小コブ付近。 (C-6)堂々としたブナ林が登山道西側に広がる。
(C-7)旧吉和村と旧佐伯町の境界尾根より吉和冠山を望む。 (C-8)板敷山と青笹山とのコル手前北側のブナ林。

焼山峠〜大焼山方面

県道所山潮原線の焼山峠には「太田川源流の森」の標柱がある(D-1)。この標柱から約15m旧佐伯町に方向に寄った所に大焼山方面の取付がある(D-2)。切り通しの法面を斜めに上がると植林地内となる。西側の尾根へ上がると、そこは、旧佐伯町と旧吉和村との境界で植林境になっている。植林境は、ほとんど歩かれた形跡のない笹道になっている。この付近の笹は、腰までもないので歩き難くない。最初のピークには、地籍図根三角点があり(D-3)、しばらくは歩きやすい道が続くが、大焼山の手前から笹薮が深くなってくる(D-4)。大焼山の山頂は、やや旧吉和村側に寄っている(D-5)。眺望はない。(C-7)の分岐に近づくと背丈を越える笹薮となる(D-6)。幸いに雪で笹が倒れており問題なく歩けたが、雪のある季節以外では相当な困難が予想される。このルート全般に赤テープの目印が施されている。大焼山を越えて(C-7)の分岐までの間は、踏み跡もなく猛烈な笹藪の幅の広いなだらかな尾根が続く。植林境とこの赤テープに留意して登られることをお勧めする。焼山峠から大焼山まで約50分、大焼山から(C-7)の分岐まで約40分で登れたが、特に大焼山から先の尾根道を、雪のない季節に笹コギをしながら登るのならば、相当な時間と労力を要すると思われる。

(D-1)焼山峠の「太田川源流の森」の標柱。中河山側の切り通しの法面下にある。 (D-2)大焼山方面取付。
(D-3)最初のピークには、地籍図根三角点がある。 (D-4)大焼山手前の西側雑木林には、ブナが散見される。
(D-5)雑木林内の大焼山山頂、眺望なし。 (D-6)(C-7)の分岐手前付近、背丈を越える笹薮も雪で歩きやすくなっていた。


板敷山の登山地図
「この地図は、国土地理院長の承認を得て、 同院発行の2万5千分の1地形図(湯来及び津田)を複製したものである。 (承認番号 平21業複、第340号)」


なお、このページ内で使用している登山ルートの名前・登山口や分岐点の名前などは、便宜上、作者が勝手に命名したものもあります。地図に記載した登山ルートは GPS等により測定したものではありません。

作成:2009年11月28日 & 2010年2月13日



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